田近英一

(理学系研究科 地球惑星システム進化学)

「地球惑星環境と生命」


予習文献

・田近英一,『凍った地球-スノーボールアースと生命進化の物語』(新潮選書),新潮社,2009

・田近英一, DOJIN選書『地球環境46億年の大変動史』,化学同人,2009

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

◆ 今回の授業のテーマは、普段の専門と全く違う内容だったので、非常に興味深く刺激的だった。普段あまり視点として持っていないような、地球全体、あるいは宇宙全体をマクロな視点で見ることが、とても面白かった。また、グループワークの中で、生命全体、あるいは人類の運命を考えていくという思考実験を行ったことは、普段考えもしないテーマだったので、印象深い議論になった。一方で、やはり情報が少ない中で難しい部分も多く、過去の数少ないデータから未来を予測することは、なかなか難しかった。同時にある種ロマンがあるような話も出て、例えばテラフォーミングするとか、宇宙ステーションを作るとか、これから地球の環境が、人類が今まで経験したことのないレベルで変化していく中で、知的生命体としてどの様に適応していくのか、という点は、議論していて非常にワクワクした。(教育学部 教育心理コース・3年)

 

◆ 今回の講義では壮大な惑星史と生命史が語られ、そこには生命としてのあり方についての根源的倫理も示唆されているように感じられた。ここでは知的生命体はどこに居場所を設け、どう存在していく(もしくは、いかない)べきかという問いについて整理して述べようと思う。来るべき惑星の運命に対して高度な技術力と意志を持つ知的生命体の対応には、「シェルター」「惑星と共に滅亡」「他星への移住」の3つの選択肢がある。シェルターは技術によって居住環境を作り危機を回避する方法だが、惑星が生命の存続が不可能な暴走温室状態へ変化して最期を迎える際、この策は滅亡へと帰結する。残る選択肢の主体的滅亡と移住というのは「生命の居場所」についての根源的な選択である。物理的には移住先で生命維持プロセスが成立すればよいが、歴史的・文化的に過去と断絶された星を生命は居場所にできるのか、すべきなのか。壮大で根源的な思索の糸口が開いた気がする。(農学生命科学研究科 生圏システム学専攻・修士1年)

 

◆ 本講義は文系の私にも理解のしやすい内容だった。それは惑星というあらゆる人にとって神秘的なものを扱ったものであり、また非常にマクロな観点で人類の存続に関わるものであったからだ。数十億年後に生物が滅亡するかもしれない、と言われてもなかなかイメージのつきにくいものであり、それは防ぎようのないことだと思う。私は、地球という惑星からすると人類の誕生がある種イレギュラーな事態かもしれないと講義を通じて考えた。例えば火山活動は地球規模の活動であり、迷惑がる人類がいるからそれは迷惑だと捉えられているに過ぎないと思ったのである。そもそも人類がいなければ、それは自然の摂理であり、活動そのものが地球の神秘だと考えるからだ。とはいえ、だからといって人類の一員である私にとっても、やはりそれらをありのままにして良いと思うものでもない。こと日本人には自然崇拝のイデオロギーがある。自然との共生が人類存続の鍵を握ると思う。(文学部 思想文化学科 哲学専修課程・3年)

 

◆ これまでの授業では精神的な居場所について考える事が多かったが、今回は物理的な居場所について考えられたので、新鮮だった。私が考えたのは、地球が誕生してから大量絶滅のイベントは何度かあったものの、生命は全て途絶えることはなく、持続しているということである。全球凍結イベントなどは、地球上の全ての生命が絶滅してもおかしくないほどの大災害だが、生き残っていた生命があり、現在まで命を繋いでいる。このように、私たち人類にとっては居場所が失われるようなイベントでも、他の生命にとっての居場所はどこかにある。つまり、種によって居場所とするような環境は異なるということを再認識した。だからこそ、自分たちの生命維持のために他の生命の居場所を奪うような環境変化を行うことは生態系の面からみても決してしてはならないと感じた。(教養学部 教養学科 超域文化科学分科 学際言語科学コース・3年)

 

◆ 今回の講義の内容は、非常に気の遠くなるような内容だと思った。星の生命とは100億年単位の話で、人の一生と比べると途方もないくらいに長いスパンの話である。その中で、人類の居場所を考察する、というグループワークは大変に難しいものだった。そもそも、私が思うに、星は人類の誕生を予期していなかったのではないだろうか。人類というか、少なくとも、意思を持って環境を作り替えるような力を手にする生命が生まれようとは、ちっとも考えていなかったのではないか。たまたま、地球が人類の生まれる条件に適していて、たまたま運よく人類は誕生しただけではないか。星は、地球は、人類の如何に関わらず、依然と同じように環境の遷移を経験しているだけで、人類に何をもたらそうとは考えていないように思える。ただ、人類は環境に悪影響を及ぼしてきた。この星と人類の認識の差こそが、居場所を確保するための鍵になるのではないか、と思った。(教育学部 教育心理学コース・4年)

 

◆ 惑星、特に地球のようなハビタブル惑星の一生についての話が、今の実感覚とは遠くかけ離れていたが、その分とても興味深かった。前回の水環境の変化やそれに対応した生き方とリンクする部分も多かったように思う。温暖化などの気候変動が本当に人間の活動による影響であるのか、といういう疑問を持った。惑星の一生というタイムスパンで見れば、現在起こっている気温の変化など微々たるもので、実は無視できるほどのレベルなのではないか。そして、よりダイナミックな、惑星の一生というスパンで気候変動を捉えた時、人間などの一生物の活動の持つ意味はほぼない、つまり温暖化対策などが無駄だとするならば、人間の努力の方向性は、気候変動を低減するのではなく、気候変動に適応していくように進化するべきなのではないかと思った。それは、例えばシェルターなどの技術によってでもいいし、または体を鍛えるというった物理的なトレーニングでも良いと思う。(工学系研究科 社会基盤学専攻・修士2年)