鈴木 淳(文学部 日本史学)

「戸長というメディア:文明開化の伝え方」



予習文献

  1. 『維新の構想と展開 (日本の歴史20)』 鈴木 淳 (著) 講談社 (2010) より第2章「戸長たちの維新」, 73-122.
  2. 『(講座 明治維新 7) 明治維新と地域社会』 明治維新史学会編  (著) 有志舎 (2013) より 丑木幸男 (著) 第6章「明治前期の豪農・地方名望家」, 172-198.
  3. 『(日本の近代 15) 新技術の社会誌』 鈴木 淳  (著) 中央公論新社 (1999) より第1章 「”維新の技術”の”活版印刷”」, 41-62.

 

  ※履修者には書籍・論文を貸し出します。詳細は初回授業でお伝えします。

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

情報伝達コストが十分高いときに大量の情報をn人に伝達しようとする場合,n人ひとりひとりがコストを支払って自己に必要な情報を獲得するというモデルより,一人に情報を伝え,その後n-1人に各自が必要な情報だけを伝えるというモデルの方が,n人全体で見たときの情報獲得にかかるコストが少ない。このモデルにおいては戸長に多大な負担が課されるが,その代償措置として,地方の末端であった戸長が,その後議員などとして国家システムの内部に取り込まれていったのが面白い。ここに,戸長の下にいた各「住民」が,明治期に成立していった近代国家制度の中に取り込まれた戸長により把握され「国民」となっていく様が見て取れる。(法学部・第1類4年)


マスメディアのない時代に、人がメディアの役割を果たしたことから文明開化を見る、という視点が非常に面白かった。そして法令を伝えるという機能について、現在はマスメディアなどで容易になっているにも関わらず、全ての人が理解していない点は変わらないという指摘を聞き、あくまでメディアは手段であることを実感した。一方でメディアの新たな可能性として気づかされたのは、人がメディアの役割を果たす場合、その人の意識変化や能力向上につながるということである。境界線上の能動的な存在としてはたらくことは、現在でも求められていることであろう。この講義での発表者がまさしくそうであるように、人がメディアの役割を持つことをもっと意識的に活かせないだろうかと考えた。(文学部・社会学)

 

政府から民衆への上意下達的な「上からの歴史」だけでもなく、新政策をめぐり受容や抵抗といった型には還元できない多様な反応を示した民衆の「下からの歴史」だけでもなく、「上」と「下」に板挟みになりながら苦闘した「媒介」たる戸長から見た文明開化は、私が抱いていた文明開化観を鮮やかに相対化してくれた。(文学部・宗教学宗教史学3年)


戸長の役割として「小前末々へ御布達向説諭ノ事」とあるのが印象に残った。政府からの布達を村の人々に伝えるだけではなく、内容を了解させなくてはならなかったというところで、戸長の苦労が忍ばれる。戸長が町村行政の担い手になっていく過程とは、戸長自身が自らに与えられた新たな役割を自覚していく過程でもあったと言えるのではないだろうか。近世には政治とは無縁だった戸長たちが、明治維新のなかで自ら学びとった「権利」や「自由」を、今の私たちが引き継いでいるのだと思うと、現在の生活も少し違った形で見えてくるように感じられる。(文学部・日本史学3年)

 

戸長という役職を通じて変動の大きかった明治維新の一端に触れられた気がした。ざっくりとした効率的とは言い難い戸長制度ではあったが国のため、人のために役に立ちたいという気持ちを上手く利用したものだと聞いてそれが短期間ではあったが機能した明治時代が少しうらやましくなった。現代なら町内会くらいなら回せるかもしれないが行政までがその気持ちだけで動かせるとは思えなかったからだ。人々が普段あまり関心のない法律の伝わる速度はたくさんの官報が発行される今よりも戸長のいた頃のほうがひょっとしたら早かったかもしれないと思った。(経済学部・経済学科3年)

 

先生がコメントされていた通り、当時の民衆は(海を含む)街道筋の情報流通チャネルを有しており、「うわさ」が日本中を駆け巡っていた。今回の講義で出た戸長の苦労として、一番大きかったのは「うわさ」との闘いと考えるのも面白いと思う。なぜなら、「うわさ」は重要度が高く蓋然性が高いものほど流通しやすい傾向を持ち、民衆が望む形で現われてしまう。大量の告示筆記を命じられた戸長の多くは「うわさ」の方が先に民衆に届いてしまい、先入観を説諭によって解消する苦しみを味わったはずである。つまり、民衆にとって信じられるのは人であり人という媒介をもってしか政府の文言を信じきることができなかった。数百年の間民衆の上に立っていたお殿様が突然いなくなった社会が不安定になるのは当然である。戸長はその信頼によって維新を媒介したのである。(人文社会学研究科・文化資源学修士1年)