第8回

大西康夫(東京大学大学院農学生命科学研究科応用微生物学)

「人類に役立つ微生物たち――いろいろな境界線から微生物を語る――」

 「微生物」と聞くと、皆さんは、どのようなイメージを描かれるでしょうか?病原菌を思い浮かべた方にとっては、微生物は恐ろしい生き物でしょう。お風呂場あるいは古くなった食品に生えたカビなどを思い浮かべた方にとっては、微生物は不衛生で気持ちの悪い生き物に思えることでしょう。

 一方、さまざまな伝統発酵食品やお酒の製造に欠かせない微生物を思い浮かべた方にとっては、微生物は人類の食文化の一端を支える神秘的な生き物に思えるかもしれません。本講義では、発酵と腐敗、善玉菌と悪玉菌、野生の菌と「改造された」菌など、さまざまな境界線から微生物を(とりわけ人類に役立つ微生物を)紹介しつつ、微生物に秘められた大きな可能性について語りたいと思います。

 

参考文献

研究室HP

http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/hakko/

*この中の「研究内容」や「研究室の歴史」というページを読んでおいてください。

 

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

文学部 思想文化学科 イスラム学 学部3年

興味深かったのが、終盤の発酵か腐敗かの境界線は人間の中でも文化・地域によって異なるということでした。化学的には同じことではあるが、その有用性によって見方が変わるということは他の分野でもありそうだと思います。

 

◇文学部 行動文化学科 社会心理学 学部3

日常生活の中で、素人が冷蔵庫の中で物を放置すると大概の場合‘腐敗’している。手作りヨーグルトの作り方レシピのような正規の手続きをふまないと自家製発酵ヨーグルトを作るのは危険である。我々はこのように生活の中で腐敗現場に直面した時のばつの悪さ、直観的キケンにさらされるときのインパクトが強いがゆえに微生物を悪者よばわりすることが多いのかもしれない。

 

文学部 言語文化学科 国文学 3年

頭では「遺伝子組み換え微生物だから」危険、というのはバカバカしい話で、使いようによって便利にも危険にもなりうるというものだとは分かっている。だが、自然に存在しないものを人工的に作り出すということに恐怖や不安を感じている自分もまた無視することは出来ない。特に、自分の体の中に入るものについて人工物への忌避感というのは強くなる。

 

文学部 行動文化学科 社会学 学部3

先生は遺伝子組み換えの賛否についてお話しされていたそもそも、我々が普段食べている肉や野菜は、合理的に生産消費できるよう、配合によってすでに遺伝子的にかなり改変されているものだと聞く。また、家畜化された菌は自然界では生き延びられないという話もされていた。だが見えないものに恐怖を感じるのはごく当たり前のことで、影響が未知数である限りは、積極的には受け入れがたいものであると思う。

 

経済学部 金融学科 計量経済学 学部3

たとえばタバコの副流煙や自動車の排気ガスを一回吸い込むことがどのくらい寿命を縮めているかなど、あまり深く考えたくないことをむやみに可視化することの是非は意見が分かれそうだ。判明してしまったことについて、受動的に「知らない」状態でいることはもうできない。「知る」か、能動的に「知らないでいることに決める」しかない。今まで様々なことから目を背けてきた自分たちに、それができるだろうか?

 

文学部 思想文化学科 倫理学 学部3年

危険度の最も高い微生物実験には実験計画書と大臣認証が必要だというのは全然知らなかったし、扱う対象によりけりとはいえ、科学者の実験がそこまで管理されているのは驚きだった。人工的な操作を伴ったものを食べるということは、まだ誰も食べたことがないものを食べることであり、(菌つながりで)きのこを一番最初に食べるような勇気が必要なのだろう。

 

人文社会系研究科 文化資源学 文化経営 修士1年

「腐敗」か「発酵」か?で思い出すのはアルバイト時代に、温かい冷蔵庫の上に野菜ジュースと牛乳を混ぜたものを常に蓋もせずコップで放置していた職員さんのことである。彼はそれをチビチビ飲んでいたので、決して捨ててはいけないと言われていた。お土産のおまんじゅうもカビが生える頃合で食べる。そしていつも「僕は体が弱くて、おなかが悪い」と訴えていた。グループワークでこの話をしたら「好きな味なんですかね」という指摘があった。とても良い指摘で、時として人は「下痢」をしたり、もしかして「死亡」したりしても、ある種の嗜好によって人間的尺度で危険とされる発酵をこえた腐敗に挑戦してきたのだろう。そこから始まる地平があったのだろう。