赤川学

(人文社会系研究科 社会学)

「人口減少社会を生きる」 



予習文献

  1. 赤川学 『子どもが減って何が悪いか!』筑摩書房 2004年

講義後情報コーナー         履修者のレスポンス抜粋

はじめは東京の一極集中は少子化を促進するという観点から「多様性の共生」の概念に賛成していたが、グループワークで「地域の選択や政策の結果として廃れていく地域が生じてしまうのは仕方がないのではないか」という議論があり、考えを改めた。確かに、現在のように地方の都市部を「選択」して守るという政策では、中山間地域や離島地域はやがて消滅してしまう。しかし、過疎地域から人がいなくなっている背景として、仕事がないために仕方がなく出ている人がいる一方で、地方の保守的な価値観や狭い人間関係を嫌って地元を出るという選択肢を選ぶ人も多いことがある。過疎地域の住民が主体的に都市部を選んでいる現在の状況では、東京に暮らす人間が「少子化を防ぐために過疎地域の地域社会を守るべき」と主張することにより、国全体の政策目標の実現のために地方の意思が犠牲になるというこれまでの歴史を繰り返すことになってしまうのではないか。(法)

 

人口減少社会を迎えた日本は、現在より少ない人口規模の中でどのように国家を成り立たせていくのか真剣に考え始めるべきだと思う。どの人口規模で下げ止めることを想定するのか、高負担高福祉の北欧型の国家づくりを進めるのか、それとも新自由主義的な小さな国家を目指すのか。今までの比較的少ない負担で中程度の福祉を享受できる時代は終わったことを受け止め、選択するべきだと思う。少子化に関しては、子供の数を国家が管理しようという発想は、全体主義的で危険だと思う。経済規模の維持のために子供を増やそうと画策するのではなく、せめて建前だけでも今いる子供の福祉・教育の充実を最優先に掲げ、投資すれば自ずと出生率は上がっていくのではないかと思うが、その点を理論的に証明していくのはかなり難しいだろう。あらゆる政策に経済的な効果を求める国民性も問題であると思う。(文)

 

人口が減少する地域社会を守るためにすべき事として、教育改正によって地方の人材育成を行ったり企業の地方進出によって経済効果を上げたりするなどの地方活性化の方法を考えた。だがグループワークでの討論を通じて、単に地方の人口を増やしたり活性化させたりすることは根本的に正しい事ではないのかもしれないと感じた。すなわち、日本全体で同じ目標を目指すことによって地方ごとの特色を消してしまう可能性がある。また、地域社会を守るためにすべき事を考えた時、まずそれぞれの地方を大都市のように活性化させる必要がある、と考えてしまうこと自体が、都会に住む立場としての考えにとどまっているのではないかと感じた。今回のテーマに限らず何らかの問題について考える際は、自分自身の置かれた立場だけでなく様々な視点から捉えなければならないということを、当然のことであるが改めて実感した。(文)

 

政府の提言や政策に疑問を投げかける講義はとても面白かった。一番印象に残ったのは、「少子化対策は国家規模でのセクハラ」という言葉である。確かにこの国は「守るべきもの」として世論も認識しているし、実際、人口が維持されなければ、今の我々の暮らしも維持できない可能性が高いが、夫婦は子どもを持つべきという風潮こそ、「変えるべきもの」なのではないかと思った。討論の中で、少子化対策で変えるべきものは結婚制度だという意見が出たが、まさにその通りだと思う。産みたくても産めない人がいることは認知されてきたが、結婚しなくていい、子供はいらないと思っている人がいることももっと認知されるべきだ。都市と地方という選択と集中の概念に対峙する多様性の共生と同様に、子供を産むべきという固定観念も多様化された出生に関する概念の中で相対化されれば、子供を持たない人も、社会の一員として子育てに参加しやすくなるのではないかと思う。(法)