第12回 

 大野博人 (朝日新聞 論説主幹)

「なぜ「人の不幸」を伝えるのか」

 

新聞はニュースを伝えるメディアです。昨日と違う今日があり、今日と違う明日があることを伝えるメディアです。読者に安心と倦怠よりむしろ不安と希望を伝えるのが仕事です。日めくりカレンダーではありません。とりわけ、グローバル化が進み、社会が刻々と変化する時代にはそれが不可欠です。しかし、それを紙面に実現していくのは容易ではありません。またしばしば読者から強い反発も受けます。国内外で「ひとの不幸」を伝え続けてきた新聞記者としての経験などを話し、人々の不幸や幸福とジャーナリズムの役割についてみなさんと考えてみたいと思います。 

 

 

 

参考文献

・日々の新聞

 

 

 

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

◇文学部言語文化学科国文学 3年

メディアの作り出す〈擬似イベント〉という概念は、メディアと幸福の関係を考えるう
えでも重要な概念だと感じた。事件を報道するだけでなく、疑似的に作り出すという作用
がメディアにあるとすれば、人々にとっての幸福や不幸をも作り出す力があると言えるの
ではないだろうか。報道される出来事の不幸の要素がメディアによるものではないか、ど
こに起因するものなのかを考える視点も必要になるだろう。

 

◇文学部行動文化学科社会心理学 3年

報道に対して行うメタ報道に限らずメディアという分野においては「メタ○○」という作業がもっと行われるべきだと私は感じる。社説に対して特にネットの世界から批判が頻繁になされる、という話があったが、社説に対する評価に対する評価(ここでは「メタ評価」と呼ぶ)が行われない、つまり文句を言われっぱなしの状態であるのは残念である。批判がなされるということはそれだけ期待や信頼が大きいことの表れでもあるので、是非メディアに対する批判に対するメディア側の評価もあって然るべきだと私は考える。

 

◇経済学部経営学科 4年

メタ報道があくまで理念、理想であり、その実現に向けて新聞社という経営形態に付随する多くの困難について、具体的な解答をいただけなかったのは残念だ。「消費者が求めるストーリーを提供してしまう」というダイアナさん報道への自己批判があったが、それを避けて現実、事実を伝えようとすることは読者の求めるものを書かないということであり、買ってもらい読んでもらうことで利益をあげる新聞社にそういった記事が本当に書けるのか。

 

◇経済学部経済学科 3年

個人的に気になったのは講演者の「正しい」という言葉の使い方である。「何を記事とするのか」というピックアップの問題に対して、講演者は「正しさ」を以て答えた。しかし、ここで言われる正しさは概念として非常に曖昧である。講演者は他の新聞社に付和雷同せず「正しさ」を追求すれば自然と「売れる」新聞になると述べているが、ここにおいては「正しさ」という言葉の中に「倫理」としての正しさと「営利」としての正しさが混在している。正直に言ってしまえば、私は倫理的に正しい記事が売れる記事だとは思えない。…売れ行きという面で考えるなら、他の新聞と協調しつつ「誰もが重要っぽいと考える物事」について取り上げて、時折分かりやすい対立構造を持ち込む方が、ローコストローリスクで分かりやすい売れる新聞になるのではないだろうか。