武藤 香織(医科学研究所 社会学・研究倫理)

「医学・生命科学研究とわたしたち」


予習文献

  1. 「変わる遺伝子医療 」 古川 洋一(著) ポプラ社 (2014)
  2. 「増補 iPS細胞 世紀の発見が医療を変える 」 八代 嘉美(著) 平凡社 (2011)
  3. 「ウェクスラー家の選択」アリス・ウェクスラー(著), 額賀 淑郎・武藤 香織 (訳) 新潮社 (2003)

 

  ※履修者には書籍・論文を貸し出します。詳細は初回授業でお伝えします。


講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

そもそも議論に市民・患者が参加することが是か非かという問題が、私の興味を惹いた。以前、医事法の講義を受けたときに、日本はインフォームド・コンセントや患者の自己決定を訴える活動を推進しても、自分では基礎知識もなく判断しかねるので専門家に任せてしまいたいと思う市民が多くいるということを教わっていたからだ。そして、その背景には医師に対する信頼があり、マスコミなどが取り上げて社会問題化するのは、何らかの問題が発生した時だけということも学んだ。このような状況から考えれば、市民が医学・生命科学研究の議論に加わらない理由は当事者意識だけに求められるのではなく、市民が医学・生命科学研究というものをある程度信頼しているからこそ、無関心でいられるのではないかというポジティブな捉え方もできるのではないかという気もした。(法学部・第2類4年)


情報を知りたいというニーズがありながら、このネット化が進んだ社会でも臨床試験のデータベース構築が困難を極めたというのは意外だった。皆が自分の体験はどうせ役に立たないだろうと思ってしまうという障壁は大きいので、実際に集まったものとその反応を見せることが重要だと思った。プラセボの必要性は私も理解できるが、当事者になると生命にかかわることになるため理解というか納得はできないだろうと感じた。それぞれの思いや状況も違う中で、体験談を公開する以上は語り手の詳しい容態、属性も併せて公開しなければいけないと感じた。(経済学部・経営学科3年)


治験について多方面からの声を収集する、という試みは大変有意義だと思います。研究者側が分かりやすく説明した場合でも、研究者の想像以上に科学知識のない人々(自分含め)というのは確実に存在します。患者側からすると、医療関係の人々はたとえ話があまり上手くない印象を受けます。また逆に、患者側は医師の説明を「どうでもいい」「分かるはずもないし、専門家に任せる」という態度から脱却する必要があるかと思います。言うは易し、かもしれませんが、この点を改善できなければ、意識は一向に変化しないはずです。(人文社会学研究科・思想文化修士1年)


授業内で取り上げられたインタビューの中で被験者の家族が発言していた「なぜ、プラセボが必要なのか分からない」というコメントが興味深いと感じた。あそこで被験者の家族が言っていたのは、「実験におけるプラセボの意義が理解できない」ということではなく、「プラセボを使うことで家族の健康が侵害されうるという恐怖」を表明していたように私は理解した。これは、科学的な知識の欠如を示しているのではなく、研究者と患者の利害の差を明らかにしているように見える。そのように考えると、講義後のディスカッションで多くの学生が、市民が議論に参加するための「最低限の知識」の必要性を訴えていたが、知識の差を埋めることより先に、利害のズレを埋めることに真摯に向き合わなければならないと考えた。(学際情報学府・社会情報学コース修士1年)