第7回

佐藤宏之(文学部 考古学)

「“祖先の遺跡”は誰のものか?―文化財の保護と活用」

今回は「遺跡はなぜ保護するのか」について考えてみたいと思います。考古学でいう遺跡は、日本では「埋蔵文化財」と呼ばれており、法律によって文化財保護行政の対象とされています。これは世界中の国でも基本的に同じですが、日本はほぼ全ての遺跡が保護の対象とされ、現在年間8,000件以上の発掘調査が行われています。こんなにたくさんの遺跡調査が行われている国は世界にありません。

それはなぜでしょうか。そのことをいっしょに考えてみたいと思います。

 


参考文献

① 松田陽・岡村勝行『入門パブリック・アーケオロジー』同成社、2012年

② 土生田純之編『文化遺産と現代』同成社、2009年

③ 岩崎卓也・高橋龍三郎編『シリーズ現代の考古学1 現代社会の考古学』朝倉書店、2007年

④ 近藤義郎他編『講座日本考古学 現代と考古学』岩波書店、1986年

⑤ 文化庁文化財部記念物課監修『発掘調査のてびき 集落遺跡発掘編 整理・

 報告書編』同成社、2010年

⑥ 文化庁文化財部記念物課監修『発掘調査のてびき 各種遺跡調査編』同成社、 

 2013年

予習資料

①の第1部第3章「日本におけるパブリック・アーケオロジー」73-109頁

講義後情報コーナー

受講者のレスポンス抜粋

◇「遺跡は人類のもの」という見方も過去の植民地支配などによる収奪の正当化になりかねず、全面的に受け入れることは望ましくないが、一方で「国民のもの」という発想もナショナリズムに容易に利用される言説であり、他国との対立を不要に煽りかねず危険さを孕むものであり、難しいと思った。遺跡=祖先と共生していくことを目標に据えるならば、現在の人々が関心を向けるような文化財保護のあり方を考えていく必要があるのではないだろうか。少なくとも「価値を伝える」という点については、国民という枠を超えた視点を持って取り組んでも、ナショナリズム的発想で危惧されるような損害を、私たち日本人が被ることは生じないのではないかと考えている。


◇ディスカッションで思ったのは、遺跡は誰のものかという話と遺跡の持つ歴史的意味やその価値は誰に帰属し、還元されるかという問題は別だということです。発掘されたものはそこに意味を読み解かなければ、ガラクタです。石ころと変わらないガラクタならその権利は土地所有者にあってしかるべきです。しかしそこにその国や民族、人類にとって歴史的意味が見いだされるならば、公共の財として保護すればよく、その基準は土地所有者の財産権を侵害する以上、法律に拠るべきです。その法律の基準、公共の福祉としての制限に当たらない場合は、その遺跡に価値を感じる人が直接、権利者と交渉するイギリスのような市場的方法が最適だと思いました。


◇遺跡を先祖のものと考えるのが良いのか、人類のものと考えるのが良いのかというテーマの立て方がされたが遺跡を誰のものと考えるかとどのような制度がよいかは分けて考えるべきことだと思う。また、祖先のものか人類のものかというのは二者択一ではないと思う。祖先のものと考えたとしても祖先をどうとらえるかによっては人類まで拡張しうる。また人類のものと考えるとしても遺跡を保存していくにあたってはまずその遺跡がある場所の人々が遺跡についてある程度の帰属意識を感じなければ保存は難しいだろう。


◇遺跡はだれのものかといったときに、ヨーロッパで主流の全人類のものとする考え方と日本など東アジア諸国のように祖先のものとする考え方があるとのことだったが、この考え方も時代とともに変遷していくものだと思う。今後グローバル化がますます進み、国家間の障壁がゆるくなると、地球上にある遺跡は全人類のものという考え方が広まるのではないだろうか。そしてあくまで予想だが、遺跡の発掘・保存についての共通の決まりが国際的な公的機関により定められていくのではないかと思う。