西村 義樹

(人文社会系研究科 認知言語学)

「”文法”に意味はあるのか?」


予習文献

  1. 西村義樹・野矢茂樹『言語学の教室:哲学者と学ぶ認知言語学』中央公論新社 2013年.

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

◆本講義を聞き、今までは深く考えたことのなかった文法そのものについて、その新しい捉え方を知ることができました。中学高校で学習した文法や語彙は、それぞれに独立したものだと何の疑いもなく思い込んでいました。しかし、講義で論じられた認知言語学を通じ、その当り前はよく考えると当たり前ではないのではないか、と自分の固定観念を揺さぶられたような気がします。特に文法構造それ自体に意味があるという考えは、まさに今までの考え方の裏をつく考えであり、とても興味が湧きました。文法に限らず言語そのものは、かっちりとした仕組みで説明できるような代物ではなく、色々な意味や背景が混じり合った、極めて複雑で歴史的なものだと思います。それと同時に、このような複雑怪奇な言語を研究する言語学そのものもまたとても面白い分野なのだろうとも感じました。(法学部2類3年)

 

◆文法は、普段何気なくしゃべっている言語を客観的に理解するために必須のツールであり、英語学習の中で参考になったことも多かった。しかし、母国語を含めた言語を客観的に把握しようとする試みは、無意識にしゃべるものとして認識している言語を逆に強く意識してしまい、違和感を感じてしまうこともある。その事実は、西村先生の、文法と単語の裏に感情などの可視化の難しい内容があるという主張を強く裏付けていると思う。(文学部行動文化学科社会学専修4年)

 

◆認知言語学の概要を学んだ。言語というものの裏には、語彙や文法というもの以外に、人間の心の働きや能力が大きく関わっており、それを明らかにすることを目指しているという内容だった。赤ん坊が物のありかを教えるのに指をさすという行動自体が、言語の始まりという可能性があるということが、興味深かった。(文学部言語文化学科国文学4年)

 

◆母語の文法を学ぶ意味は、文法というのはその民族の思考を体現しているので、他言語を学ぶ際他民族の思考を相対的に捉えられるということがあると思う。西村先生の文法の話は非常に面白かったので中高生にもっと話してほしい。生徒は認知言語学にふれて他言語を学ぶモチベーションが上がり、また複数のイディオムの微妙なニュアンスの違いをくみ取ろうとするだろう。自分もニュアンスの違いを意識して他言語を勉強するようにしたい。(工学部建築学科3年)

 

◆外国語を学ぶ上でその語の「文法」を学ぶことは、確かに限られた時間的リソースの中で学習効果を最大化するのに効果的だろう。しかし、実際に「文法」と呼ばれるものの大半は、結局のところ語の用法に過ぎないものが多く、「文法」よりも寧ろ主眼は「コロケーション」にあるのではないか。また、近年重視されている英会話に必要なスキルがまさにそのコロケーションであり、そのことも考慮すれば、「文法」の有用性は認めつつも、その枠組みや在り方には見直す余地があるように思われる。(文学部歴史文化学科4年)

 

◆正しい文章・口頭表現とは何か、さらに、それをロジカルに考察するための文法というものは何か、ということを改めて考え直してみる良い機会となった。同一の言語であっても、それを使う人々の階級・職業・男女・年齢等のクラスターにより、相違があり、ギャル語、官僚作文等、言語の多重性、多層性は一段と複雑化しているように思える中で、文法、あるいは文法学習の必要は、所属したいと考える階層・社会集団に、適切に受け入れられるためのパスポート、文化的リテラシーという要素を強めているよに思える。過去の時代のように、人々が同一地域で同一階層の人々中心に言語生活を送る限り、自国言語についての格別の文法学習は不要であっただろう。しかし、同一人物が或る時はギャル仲間と、別の時は官僚仲間とコミュニケーションするといったことが頻繁に行われる多層化の時代においては、文法学習の存在意義が従来比高まっているのではないか。(人文社会系研究科文化資源学研究専攻M1)

 

◆一般的に現在の教育ではそのニュアンスの違いを文法として教えることはないが、ネイティブの人はその微少な違いを自然に感知している。

また発音や強勢なども文法に含まれうるという。ただ伝われば良いというのではなくネイティブの人が感じるように学ぶことが認知言語学なのだと思った。

また印象に残ったことは、綺麗な英語を使う人は綺麗な日本語を使う傾向にあるという話である。普段から言葉使いや文章に気を付けて使用していくことは意外と大きなメリットがあるのかもしれない。(法学部4年)