第2回

白波瀬佐和子(文学部 社会学)

「格差社会における共生のあり方」

共に生きるというのは、どういうことなのでしょうか。誰と共に生きるのか。共に生きる「誰か」は、一体誰なのか。このあたり、みなさんはどのような場面を想定しますか。世の中には男もいて、女もいる。赤ん坊もいるし、大人や、老人がいる。豊かな者、貧しい者も日本社会にはいますよね。日々の暮らしは、みなさんが思っているほど開放的でなくて、意外と限定的な環境の中で行われています。格差のデータや人々が生活する上に関係が深い社会保障制度を示しながら、共に生きることを一緒に考えたい。


参考文献

① 神野直彦『「分かち合い」の経済学』(2010年、岩波新書)

② 内橋克人『共生の大地 新しい経済がはじまる』(1995年、岩波新書)

③ 白波瀬佐和子『生き方の不平等 お互いさまの社会に向けて』(2010年、岩波新書)

④ Arber, Sara and Claudine Attias-Donfut (eds.) The Myth of Generational Conflict (2007, Routledge) 

 

予習資料

参考文献③より「終章 お互いさまの社会に向けて」(Pp.200~226)

講義後情報コーナー

受講者のレスポンス抜粋

◇「格差」問題に取り組むにあたり、白波瀬教授は教育を鍵だと認識しておられるようだが、教育こそ日本が力を入れていない最たるものの一つのように思う。財政難等と何にしても四苦八苦している日本だが、何が大事なことか見極め、選択することは私たちにかかっている。一つ一つ知恵を出し合わなければならない。「共に生きる知恵」の意味が少し解ったように感じた。

 

◇努力が認められるべきという主張は確かに個々人を尊重しているように聞こえるが、努力ができない人のことも全体で支えていこうというゆとりのある社会を構築しようとする立場こそこうして高等教育を受けられているという点で「恵まれている」我々のとる立場なのではないだろうか。私ももっと「他者感覚」を鍛えたい。

 

◇「格差はなくした方がよいか」の議論では、個人的には無くせるものなら無いほうがよいと感じ、一方で格差は結果として人間の向上心を喚起するものということを思いつつ、では積極的に格差を肯定する理由を見いだせなかった。数日前の新聞報道に大学進学率にみる顕著な地域格差の報道があった。先生が教育とくに高等教育に格差是正の活路を見出すならば、この状況はどう見るべきなのか。そして先生なりの今後の日本社会の格差をめぐる展望をお聞きしたかった。

 

◇格差がなくならないことを前提とするなら、再チャレンジ制度や教育による機会均等の拡充による、社会階層の流動化が望まれるだろう。また、少子高齢化社会の中で高齢者間の格差が拡大しているというお話をお聴きし、現在の社会保障制度は現役世代が高齢者を支えるという仕組みになっているが、高齢者間で支え合う仕組みも必要なのではないかと感じた。