大月敏雄

(工学系研究科 建築学)

「超高齢社会の居場所づくり」

予習文献

・大月敏雄,『町を住みこなすー超高齢社会の居場所づくり』(岩波新書),岩波書店,2017

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

◆最近は規制緩和が進み、公園の中にカフェができたり、道路空間を利用したオープンカフェができるなど、行政が管理する空間に民間の力を導入する取り組みが広がっている。グループワークで扱った居場所マトリクスで考えると、この取り組みは多くの種類の人にとって魅力的な居場所を形成する取り組みだということが分かる。一方で、ホームレスの居場所について考えると、これらの取り組みはむしろホームレスの居場所である、お金や身綺麗さがなくても排斥されない空間としての公園や道路の消失に繋がり得る取り組みであるということが明らかになる。

講義内のグループワークでは、居場所マトリクスを、各居場所をどんな人が潜在的に使えそうか・どんな居場所を用意すればいいか等を考えるために用いた。しかし上述のように、居場所マトリクスは、特定の居場所の性質を変化させたときの各人の居場所の変化を明らかにする点でも効果があると感じた。(工学部・4年)

◆男子高齢者のコインランドリーでのコミュニティといった、これまでの建設や設計では見過ごされてきた点が、新たな視座を建築に与えるといった点が勉強になった。一方で、ワークにおいては、子どもやその両親、高齢者といった典型的な属性に対する回答が多いように見受けられ、障害者や外国人といった回答は少なく、こうして意識を向けていても、多数派中心の価値観では注目が向けられない属性に、どうやって意識を持ってもらうか、もしくは自らの気づいていない領域に気づくかといったことが課題であると感じた。(文学部・3年)

◆以前見たテレビ番組で、高齢者が健康寿命を伸ばすための秘訣は社会的なつながりにあると報告されていた。適度な運動をすること以上に、社会的なつながりを持つことが重要なのだという。地域社会において高齢者がそれぞれに合ったやり方でそのようなつながりを保つために必要なのが、同じ地域に住む人々の多様性とそれを可能にする住宅形態の多様性、そして偶発的な出会いを必然的に生む場所(コインランドリーなど)のデザインなのだと授業を通じて感じた。また、グループワークの中で、異なる世代・属性の人々が集う場所としてコンビニが注目されたことは興味深い。昔ながらの商店の前が近所の人同士の井戸端会議の場になっていたように、コンビニが社会的つながりを提供するようになるとすれば、宅配に頼るのではなく自ら買い物に出向き、つながりと適度な運動量も確保できる高齢者が増えるのではないかと思った。(経済学部・3年)

◆前回は住宅が居場所としての重要性を増してきたということを学んだが、今回は住宅をいかに居心地の良い場所にするかという観点での講義であり、関連性があってとても興味深かった。

私は、住宅とその周りの環境がどのようであれば居場所となれるのだろうかということを考えた。講義でも例に挙がったが、多摩ニュータウンなどの都市部の住宅地では、住宅が画一的な設計であり、人のつながりも薄いので住宅は単に「住む」だけの場所となっていると考えられる。グループワークの居場所マトリックスの作成で、様々な立場の人たちが住宅を居場所としているが、それが本当に精神的にも居場所たりうるのか、という疑問からも伺える。

そのような現状を鑑みての住宅、住環境の設計についても考えた。テレビ局の取材が来て慌てて呼びかけて集まるのもコミュニケーションである、という視点は興味深く、話したい時に話せるような場所作りが重要であると考えた。(教養学部)

◆私は前回の講義を受けて、「居場所」概念は周囲の環境と区別された自律性のある領域を設け、そこに物的・精神的な投資を行うことで成立するという解釈を行った。しかし今回の講義を受け、コミュニティという視点で見るとそのような在り方も「居場所」の一つのあり方にすぎないのではないかと感じた。現代の都市生活者にとっては住宅の在り方も多様で「庭付き郊外一戸建て」という最終目標がある訳ではない。また、一戸建てを持ったとしても、社会的な援助を必要とする立場になれば地域コミュニティに依拠し、「居場所」が地域社会に拡散した生活になることもある。このように「居場所」の境界は個人の状況や意識によって大きく変わり、必ずしも家屋という物的な境界と一致しないのではないかと感じた。そしてこれは個人として自律的な近代的な人間像の絶対性が揺らぎ、相互扶助を前提とした前近代的な人間の生活が見直されている兆しとも感じられる。(農学生命科学研究科・修士1年)

◆超高齢社会の中にあって、高齢者の居場所があるかという問題意識を起点とすることで、町には誰のためのどんな居場所があるのかと再考することができるという点が今回の講義を通じた発見だったように思う。

高齢化社会はこの国の暗い行先を示す象徴であるかのように扱われることが多いが、そこで生まれる視点や問題意識を他に転用することができれば、社会やコミュニティといった概念に再度向き合い、必要と思われる変化を呼び起こせる可能性がある。

今回の講義でも、講義自体は高齢者の視点を起点にしていたが、最後のグループワークでは人をマトリックス化して多様なカテゴリー毎の居場所を考えることで、我々がいかに自身の経験に多くを依存した発想をしているか、自身の経験の枠を外れた存在の多さがいかにあるかを知ることができたように思う。(前期教養学部・2年)