北野隆一

(朝日新聞社編集委員)

「『偶然』のなかの意志̶同時代史の現場で」


予習文献

加藤陽子

(人文社会系研究科 日本史学)

「日本近代史における『偶然』」


予習文献

  1. 加藤陽子,2011,『昭和天皇と戦争の世紀(天皇の歴史08)』講談社.
  2. 加藤陽子,2016,『戦争まで』朝日出版社.

講義後情報コーナー 履修者のレスポンス抜粋

これまで天皇についてきちんと考える機会を設けなかった私にとって、「制度」としての天皇と、「人間」としての天皇の相克を学ぶことができた本授業はとても勉強になった。特に「退位の自由」に関するディスカッションでは、私は制度維持の観点から自由を認めることに終始反対であったものの、賛成派の方が人権を理由に意見を述べるのを聞くにつれ、自分が「天皇は制度である前に一人の人間なのだ」ということをいかに忘れていたかに気付くことができた。また最後に理系の方がおっしゃっていた「天皇制度について意見を持つ人は少なく、国民の総意なるものは未だ醸成されていないのでは」という意見は、私はもっともだと思う。天皇について一般人が議論する機会はめったになく、むしろそのようなことは忌避されているようにも感じる。本授業の貴重性を感じるとともに、この授業のような、多くの国民が天皇について改めて熟考できる場を作ることが重要だと思う。(法)

 

北野先生の講義では、天皇による災害被災地見舞いがテーマであった。基本的には招聘を受け訪問が行われるが、被災地見舞いは両陛下の意志に基づいて行われる。これに対しては「天皇は国政に関する帰納を有しない」と定める憲法との整合性の問題が生じてしまう。また見舞いの際ひざをつくという行為も両陛下の意志とみられるがこれに批判する声もみられた。このように天皇の行動には様々な憲法解釈等が付随するのでその一挙一動で議論が紛糾してしまうのだと知ることができた。加藤先生の講義では、昭和天皇の外遊に際して対立する意見が交わされたことから様々な偶然に左右されてしまうという、天皇の行動を巡る様々な論争は過去から現代にいたるまで継続しているのだと知った。しかし、外遊に反対していた大臣が辞任するなどその様相は現代とは比較できないほど激しいものだったのだと知ることができた。(文)

 

統合の象徴が「意志」をもつこと、このことの是非について深く考えさせられた。授業でも触れられていたとおり、象徴と聞くと、歌や旗など静的・受動的なものをイメージする。一方で、国民統合の象徴たる天皇は「意志」をもつ人間である。憲法との兼ね合いはおいておいても(これも重要な問題であるが)、象徴が意志をもつことは、統合の機能を果たす上で効果的なのだろうか。人間集団がまとまりを維持する上で、意志を持った主体が集団に働きかけることはとても意味があると思う。静的な象徴に比べて、主体的な象徴は国民の間になんらかの反応を引き起こす。天皇の能動的行動を国民集団が同時に経験し、それに反応することは集団の一体性の維持にとって大きな効果をもたらす。その意味では、象徴が意志をもつことは、その憲法上あるいは歴史的な是非を別にして、日本国民の統合において重要な機能を発揮していると思う。(経済)

 

日本史には中学以来触れていないので歴史には疎いが、さまざまな「偶然」が生じつつも、それらが互いに絡んで物事が進む様は面白く感じた(たとえば、皇太子外遊の反対派の論拠として、同じく1921年にたまたま極東にまで進出してきたコミンテルンが挙げられる など)。また、個人的な話だが私は「偶然」熊本出身で、ハンセン病や水俣病の関係でも、昨年の地震でも、天皇陛下には直々に足を運んでいただいた中、そうした訪問の歴史的背景を学べたのは良かったと感じている。
憲法とのバランスが議論にあがっていたが、私は違憲だとは考えていない。「国政に関する権能」の定義も難しい問題だが、被災地への訪問が国政に直結はしないのではないか。しかし、たとえば「この地域にいち早く支援を」など述べ、それが国政の実働に影響を与えたとなるとアウトかもしれない。とはいえ、その境界の線引きも、陛下の言動の持つ影響力の大きさゆえに非常に困難だ。(教育)

 

天皇制について、明治期から現代まで、それを維持しようという多くの努力が払われ、そのために多くの人命が犠牲になったのに、その制度が何(誰のどのような利益)の為に必要なのか、納得できる説明を聞いたことがない気がするところに気味の悪さを感じていたが、今回の講義・GWで、伝統はそれを守ることを自己目的化させることを意識した。天皇が特権とともに人権の制約も受けていることは、天皇が権力に不適切に関与することを防止する側面の他に、国民の怨嗟を緩和するという、制度維持のための側面も持っているように思う。今のところは天皇制の必要性を正面から国民的に議論することは難しいと思うものの、現行憲法の象徴天皇制は矛盾や限界を孕んだ制度であると思うので、今回のように問題化されたときにできる限りでの議論をきちんとすべき気がする。特に「国事」と「国政」の境界は厳密に検討しておくべき内容だと、先生方の講義を聞いて思った。(法)

 

今回は、私がこれまであまり考えてこなかった天皇についてのお話を伺った。正直に言えば、私にとって天皇は決して身近ではないし「象徴天皇」という言葉は知っていても特にその内実について考えようとも思わなかった。しかし今回の授業を通して、天皇が常に憲法と隣り合って存在していること、天皇としての存在とひとりの人間としての存在が常にせめぎあっていることがわかった。今上天皇本人も、ご自分の意志や行動のひとつひとつが物議をかもすことは理解しているだろう。(今上天皇が昭和天皇が逝去された際の自粛ムードに懸念されたということは初めて知り驚いたがこのように周囲を感じ取ることができる方なのであればなおさらである。)それでも意志や行動を示すのは、初めて象徴天皇として即位されたご自分の役割や責任を深く考えた上でのことなのであろうと感じた。(文)