酒井邦嘉

(総合文化研究科 言語脳科学)

「創造性を生みだす脳の言語能力」


予習文献

  1. 酒井邦嘉,2006,『科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか』中公新書.
  2. 酒井邦嘉,2015,『考える教室』実業之日本社.

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

◆パスツールの言葉「偶然は構えのある心にしか恵まれない」に始まり、アインシュタインに導かれ、最後には芸術と言葉の関係に辿りつく、刺激的な授業だった。質疑応答で言われていたことだが、インターネットによって誰もが「接続過剰」になっている現代、自分にとって大事な問いに出会ったときに大切なのは、安易に見つかる「答えらしきもの」に飛びつくのではなく、むしろそこで立ち止まり、素朴に考え続けることだという話には、強い共感を覚えた。その際、アインシュタインがいう「本質的なもの」という基準、枝葉末節を敢えて無視する大胆さが必要になって来ることは言うまでもない。関心や好奇心に従って、アンテナを広げつつ限定すること。科学的「嗅覚」によって、単なる日常の偶然(に思えるもの)に普遍的説明原理を与える(必然化する)こと。ニュートンやアルキメデスの発見も、そのような自由と有限性のあいだから生まれたのではないだろうか。(人文社会系研究科・博士課程)

 

◆科学的発見における準備と偶然という問題は、必然/偶然の交錯の本質に迫るトピックだと感じた。偶然ある現象に遭遇したときに有効な考察を引き出せるか、これはひとえに現象を前にした科学者の精神や知識の準備による。専門化以前の科学者なら、不思議に感じ「なぜ」を問う態度が不可欠になるし、専門化以後ならば、その偶然の発見によって更新されていくべき既存の蓄積や理論へのある程度の精通も必要になる。一方で、その偶然に遭遇しなければ発見に至らないのも現実である。どんなに身構えていても、外部からもたらされる偶然がなければなにも起きない。研究者の意志による「必然」たる準備や努力と、その制御下にない「偶然」が出会うことで大発見が生みだされる。大きな発見をした科学者のお話をテレビや東大で拝見すると、とても謙虚であり、発見にいたる自らの努力ではなく、実証面での偶然を強調する方が多いのもそういう背景があるのではないか。(経済学部・4年)

 

◆アインシュタインの考えた自由を好む教育の考え方は、ゆとり教育に通ずるものがありそう。実際、考える材料と時間を与えて自由に思索を巡らせるような時間は、好奇心が旺盛な子にとっては実りのある学習につながっていたはずだ。しかし、ニュートンやアインシュタインの時代とは時代が変わってしまった。勉強は「すべての子どもが足並みをそろえて読み書きそろばんを学ぶ」ためだけのものになってしまい、この教育姿勢がゆとり教育を失敗させたのだろうと思う。

現状、義務教育の役割が自然の理や美に好奇心が働かないようなこどもたちにも生きていくために必要な最低限のリテラシーを持たせる以外になくなってしまっているのが問題だ。あくなき好奇心を持つ子にとっては、そばにどんどん質問を一緒に考えてくれるような人がいてくれるのが理想だと思う。教科書を分厚くすればいい、知識を与えさえすればいいという安易な考えを捨てねばならない。(薬学系研究科・修士1年)

 

◆今回の講義で、アインシュタインの研究姿勢に触れ、グループワークでは「偶然的」な科学的発見にどう準備するかを考えた。この議論で特に気になったのは、知識の必要性についてである。一方的に蓄積された知識は固定観念として思考の過程に常駐し視野を狭めるのではないか、まだ深さのある疑問を前にその知識だけで理解、解決した気になって更なる議論を妨げるのではないか、という意見があった。対して、一定量の知識や部分的に蓄えられている謎を事前に持っていなければ、そもそも議論を認知できないのではないか、という意見もあった。この両者の矛盾の解決として、多方向性にヒントがあるように感じた。将棋に例えるならば、自身の手だけでなく相手の手になって考えてみる、というように、自分の視点での検証を一度休め、全くの他の回路を考えてみるということである。講義の結びの先生の「自分を空にできるか」という発言と通づる点が印象的であった。(文学部・3年)

 

◆目に見えない「本質的なもの」を追求するスタンスこそが、科学者に求められるものであるという先生のご意見は大変納得がいった。ニュートンの林檎然り、フレミング博士のペニシリンの発見然り、科学の発展には一つの「偶然」が大きく寄与してきた。しかしその「偶然」に触れてもそれが価値を持つかはわからない。漫然と事象を見るだけでなく、「本質は何か」を追求するからこそ、その偶然に驚き、真理を追い求めようとするのだ。

自分は今後、「本質は何か、を常に問い続け、身の回りの現象に目を配ること」と「価値ある偶然を追い求め、読書等を通じてその接触回数を増やすこと」に注力していきたいと思う。振り返れば、読書を通じて得られた観念、思想は大きく、それは本質を理解する力を促進すると同時に「異質」なものを見分ける力も育んでくれたように感じる。ともすると些末なことに惑わされがちな学生生活であるが、このスタンスを常に忘れないようにしていこうと思わせてくれる2時間だった。(法学部・3年)