第11回 

 笠井清登 (東京大学大学院医学系研究科 精神医学)

「精神医学とは何か:「脳と精神と生活の医学」による個人の精神的幸福、そして社会の豊かさへの貢献」

 

 身体の健康のみならず、精神の健康を通じて精神的幸福を実現することは、市民ひとりひとりの願いであり、国民としての基本的な権利です。ライフステージに沿って精神の健康を高めることがひとりひとりで達成されると、それは最終的に社会全体の豊かさにもつながります。
 人間独自の高次な精神機能は、進化の過程で脳が格段に大きくなったことで実現しました。人間の脳は精神機能を生み出し、その精神機能は、自身の自己像を形成する能力を持ったことで、ひるがえって自己の脳に可塑的変化をもたらします。この双方向的な脳と精神は、現実の「生活」の場面で発達し、機能します。人間の脳と精神は、「生活」を成立させるために進化してきたともいえます。したがって、脳と精神の病である精神疾患は、個人においては生活の障害として表現されます。
 このように、精神医学を「脳と精神と生活の医学」として定義することにより、精神医学が他の学問分野と連携・融合して、個人の精神的幸福、そしてその結果社会の豊かさの向上に貢献する道筋が明確になります。そのためにどのような実践、研究、人材育成を市民や社会が精神医学に求めているのか、についても基本原則が自ずと定まります。 

 

 

参考文献

・福田正人『もう少し知りたい統合失調症の薬と脳(第2版)』日本評論社、2012年 [初版2008年]。
・佐々木常夫『完全版ビッグツリー:自閉症の子、うつ病の妻を守り抜いて』WAVE出版、2012年。
・大山泰弘『利他のすすめ:チョーク工場で学んだ幸せに生きる18の知恵』WAVE出版、2011年。
・中村ユキ『わが家の母はビョーキです(~2巻)』サンマーク出版、2008・2010年。
・中村ユキ『マンガでわかる!統合失調症』日本評論社、2011年。

 

参考URL
・東京大学精神医学教室HP  http://npsy.umin.jp/
・こころの健康ページ http://kanja.ds-pharma.jp/life/kokoronokenkou/
・JPOP-VOICE http://jpop-voice.jp/schizophrenia/index.html

 

 

 

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

◇建築学専攻 修士1年

今回の講義では、相手が幸福であるために周囲の人はどうあるべきかを考えたように思う。今までの講義は「幸福を考えるベクトル」というのは、自分から矢印が対社会や生物、宗教や学問を通過してそれぞれ個々のゴールへ向かっていたが、今回は自分以外の誰かから発信している幸福の矢印を見つけ、どういう質の矢印がどこに向かっているのがよいのかを、客観的かつ相手の立場から考える事が必要でありとても難しいと思った。
また「仕事をする」という人の役にたったり人に必要とされることが幸福につながるという話が講義にあったが、自分の存在を認められる事が生きる喜びにつながり、幸福をかんじるのではないかなと思った。生きる喜びというのは、生涯やこの先の人生になにかしらの影響を及ぼす種類の幸せの事で、なにか継続性があったり未来へつながる期待感が、幸福には必要なのかなと思った。

 

 

◇文学部歴史文化学科 3年

授業では精神疾患をもつ人に対するケアラーの心構えなどが話されていたが、ケアラーに対するケアラーの必要性もまた強く感じさせられた。男女ともに働いている時代、学生たちも何かと忙しい時代に、あまりに身近にいるケアラーの負担が大きくはないか。授業では訪問医療なども話されていたが、それだけではなくて、地域として住民が相互に支援できるような仕組みや文化ができないだろうか。気にかけてくれる人がいるだけでも、ケアラーの負担は分担できるのではないだろうか。家は家、他所は他所というような考えではなく、互いにある程度干渉できるような、地域交流が盛んになれば、その地域がまるで一つの家族のように、互いにケアラーとなれると思うのである。またこれは精神疾患に限らず、幸福につながるのではないかと思う。

幸福の要素に他者との人間関係の良好がたびたび挙げられているが、地域のそのような共生の意識は、幸福感を押し上げるものになり得ると考えられる。

 

 

◇法学部第二類 3年

この授業を通し、「事象に名詞を与えること」の影響について考えました。昔は、精神疾患を抱えている人であってもそれは「その人の個性」としてとらえられ病気であるとは考えられておらず、社会でもその個性に合った位置を与えられていたときいたことがあります。一方、現代においては精神疾患についての正しい情報が与えられていないこともあり、精神疾患を理由として周囲から距離を置かれてしまう、拒絶されてしまうということが十分に起こりえます。本人としても、自分が精神疾患を抱えていると知る前まではそれをただの自分の性格だと思っていたものが精神疾患であると知った途端に社会に対して消極的になってしまうということが考えられます。
「精神疾患」という名詞が与えられることは、自分の抱えているものをより理解できるようになる一方で、それがはっきりと形を持った概念となり向き合わざるを得なくなるという負担も背負い込むことだと思うので、精神疾患であるということを本人が知った場合にはそれと向き合い上手くつきあっていけるようしっかりとサポートすることが必要であると強く感じました。

 

以上