福井 健策(弁護士 著作権法)

「変容する、著作権と知の創造/流通/共有」



予習文献

  1. 『18歳の著作権入門 (ちくまプリマー新書)』 福井 健策 (著) 筑摩書房 (2015)
  2. 『誰が「知」を独占するのか-デジタルアーカイブ戦争 (集英社新書)』 福井 健策 (著) 集英社 (2014)


  ※履修者には書籍・論文を貸し出します。詳細は初回授業でお伝えします。

講義後情報コーナー

履修者のレスポンス抜粋

◇今回は「機能不全を起こす著作権制度」について概観することで、どういったことが原因となりどういう問題が生じているのか、そしてわれわれが「守る」べきものが何か(例えば集積されずに消えてしまう資料、創作者の利益や意志、またいわゆる「二次創作」とよばれるファン文化の豊かさなど)を確認できる貴重な機会であった。印象的だったのは、グループワークの発表にも見られたように、二次創作などファン活動といえど創造性のある活動に対し擁護する人が大半であったことで、現在「グレー」として見て見ぬふりでやり過ごされてきたこうした活動や作品(一部は二次創作者の利益ともなる)を保護するためにも、「アウト」ラインを定めること、翻って二次創作活動のガイドラインとして機能する法なり制度が必要だと実感した。個人的にはこの「アウト」ラインというのは一律の規定でなく、(一次)創作者の意志を反映して個別に運用されるものであるべきだと思う。もちろん創作者が詳しい規定をその都度定める手間や難しさという負担を追うことがないよう、パブリックライセンスのようなかんたんな意思表示システムや登録制度を広く実施するといったことが現実的かと思う。しかし先生の仰っていたように「短期、中期的な策」についてはまだこうして考えられるものの、その先にある長期的な制度の構想や、今後状況そのものがどうなっていくのかということについてはこれまで自ら考えたことがなかった。3Dプリンターの例のように、これから情報技術の進歩によってより様々なものが広く多くの人に共有されるようになるだろうが、そうした先の未来の状況について、著作権法自体のない世界や、創作物の権利で利益を得ることのない社会というのがどんなものになるか想像することから始めてみたいと思った。('人文社会系研究科・文化資源学修士1年)

 

◇誰もが情報の送り手となることのできる現在、著作権とはどうあるべきか考える一助となる講義で、興味深かった。お話を伺う中で、収益機会の確保という点が、著作権が問題となりうる最大の理由ではないかと感じた。例えば、同じ音楽をCDとYouTubeの双方で聴けるとしたら、CDではなく、無料で聴けるYouTubeに流れると言った場面だ。それについて考えたとき、この問題の背景には、作り手への配慮や想像力が欠けていることがあるのではないかという気がしてならなかった。情報の受け手が、作り手がある作品を生み出すまでの努力や諸経費に関して目を配るようになれば、コストに応じた正しい料金を支払うようになるのではないか。ただ、このような意識改革をするためには、作り手が収益機会の減少により、良い作品を生み出せる環境を逸し、その結果自分たちが悪影響を受けるということを直截に受け手が経験しなければならない、という難しさもあり、答えがなかなか見えない。 (法学部・第2類4年)

 

◇著作権法が、現在の情報や創作など知的財産をめぐる情勢に合わなくなっているということは、以前からぼんやりと感じていることでしたが今回非常にわかりやすくお話しいただき勉強になりました。わたしは自分も執筆や創作、また画像や音源、文章などを扱う作業をすることが多いので、著作権の問題には敏感にならざるを得ません。今回感じたのは、創作経験がない人は主に情報を利用したり消費したりする視点にたち、いかに著作権を弱めていくか、という議論になりがちだということです。創作をする側としては、自らや他者の作品に付随する権利や利益を尊重しつつ、利用のしやすさとのバランスも考えることが必要だと感じています。著作権は、厳しすぎると様々な弊害を生み文化の発展を阻害する部分もありますが、今後も何らかの形で必要とされるものでもあると思います。また、これは法や制度とは直接は関係ありませんが、創作者を尊重するという考え方は、著作権概念と同時に生まれ根付いてきたものではないかと思います。(文学部・美学芸術学4年)

 

◇一番大切なのは、表現者が表現する動機を確保できる制度設計だと思います。 例えば中国の今の海賊版が跋扈する現状は、創作者に敬意を払っていないがために、長期的に見ると、文化表現にとってはよくないのだろうと思います。 その上で表現者も、プローアマといった区別が可能だと思います。文化の活力を保護するためには、アマ、素人の表現を促進し、また注目を浴びた場合はきちんと(孤児にならないように)著作権に繰り入れる態勢が必要だと思います。 コンテンツ産業はピークを過ぎたという統計が出されていましたが、出版社などエージェントがこれまでたくさん中抜きしてきて、それがインターネット化によりなくなった、という現象である可能性もある点は注意が必要であると思いました。 また、「文化」といっても中身は多様で、既存の作品の縮小再生版もあれば、革新的な作品もあり、色分けして保護することも必要だと感じています。 また文化表現を受容する側を、ただ安さを求める「消費者」として捉える以外の見方も重要であると感じています。いい作品を見たら、対価を払いたいという気持ちは普通に湧くものですし、それを触発する制度を作れたらなぁ、と思いました。(文学部・社会学4年)

 

◇現在の日本では、二次創作やパロディと呼ばれるものについての法的な規定がなく、黙認という形で続けられているが、TPP加入を考えると、フェアユースを設定し、二次創作、パロディに何らかの法的な保障を与えなければ、コミックマーケットなど繁栄する、日本の二次創作文化への打撃となるだろうと考えた。そのためには、同時に、保護すべき著作物とは何か、それぞれどの程度、どのような形態の二次創作が許されるのかをできる限り、具体的に、人々が見やすいようにリスト化できるとよいと思う。そのためにパブリックライセンスを用いるなど、何かしらの形で、著作物を登録するのが良いだろうと考えた。しかし、現代社会において著作物の数は膨大に生み出され、そしてあっという間に、その多く(雑誌の記事や、漫画、テレビ番組)が消費され、大多数の人は触れられなくなってしまう。これ等を保存・流通させるアーカイブも必要であり、これら3つの問題は連動している面が多いため、対応するための一つの大きな機関を作る必要があるだろう。(文学部・日本史学3年)

 

◇複製が特別な行為であった頃の権利保護手段として生まれた著作権は著作権者の利益確保のためその様態を歪に強化してきた。複製技術の発展により人々が何気なく行う行為も著作権違反となってしまっている。また、技術のオープンソース化も進んでおり、どのように情報公開し外部の意見を繁栄するかが技術革新の最も大きなトピックとなりつつある。たった300年の間に法をめぐる環境は180度変わり、著作物を守る法から著作物のなにを守らなくてよいかを規定する法が期待される時代になった。元来著作権法は他知的財産権法と異なり文化の発展に寄与することを目的として成立している。文化の発展に国家が保護を厚くする時代から、自発性を重んじ保護を緩める時代へと移るその様態は、著作権という法概念を媒介にして、人々が文化をそして同時代人をどう見ているかを移す鏡となってくれる。結論が出なかったという発表も含め非常に興味深い講義だった。(人文社会学研究科・文化資源学修士1年)